さて、『野ばら』のお話の続き。
 ずっと二つの国の間は何事もおこらずに平和だと思っていたのに、ある日戦争が起こり、若者は戦地へ行って、国境には老兵がひとり取り残されます。
 『野ばらの花がさいて、みつばちは日があがると、くれるころまで群がっています。今、戦争は、ずっと遠くでしているので、たとい耳をすましても、空をながめても、てっぽうの音も聞こえなければ、黒いけむりのかげすら見えなかったのであります。』
 結果は老人の国が勝ち若者の国の兵士は皆殺し。そんなことも国境の老兵は旅人に聞いて知るのです。そして、ひとり国境の野ばらの下でうたた寝をしていると、若者が騎乗の人となって、静粛な軍隊の指揮を執って現れるのです。誰一人として声を上げる者はなく、若者は老人に黙礼をして野ばらにくちづけをしたのです。老人は若者に声をかけようとして目がさめました。その野ばらが枯れた秋、老人は家族の住む南へ、暇をもらって帰ったのでした。
 富士総合火力演習の私たち国民へ対しての目的は、「陸上防衛にあたって、陸上自衛隊の持つさまざまな能力を国民に紹介し、陸上自衛隊に対する一層の理解と信頼を得る」です。前段では装備と空挺の自由降下、後段では陸上戦闘の様子が展示されます。それによって私たちは、保有する装備と隊員の能力の素晴らしさを理解することができます。
 前段の中距離火力の展示に、対戦車部隊の96式多目的誘導弾システムがあります。その説明に「装甲の弱い天井面に命中させる最新の装備」とあります。でも、戦車は戦車で新型が作られる毎に、防護力の向上は設計方針に取り入れられます。もちろん「装甲の弱い天井面」への対処もされることでしょう。
 ここで、『韓非子』の盾と矛の話を思い出します。話の結末ではなく、いつの世も、より強い攻撃力と、より堅い防御力を欲し続けるということです。
 武器のない世の中になって欲しいと思います。でも、私たちが生活していく上で必要な物の中には武器となる物はたくさんあります。それを個人の最終外交手段として使った事件は、日常茶飯に起こっていることです。でも、全ての人がその最終外交手段を使うわけでもありません。使わない人の方が絶対的に多いのです。そうならないようにあらゆる手段を使い回避したり、その結末を判断する能力と理性を持っているからです。でも、ひとたびそのような状況になった場合、誰もが自己防衛するでしょう。テロリスト達が大規模な行動を起こしたり、国と国との間でそれが起こらないということはないのです。現状においては、優秀な装備と隊員を私たちの国が持っているということは、抑止力として機能しているということでしょう。
 でも、私たちはそれだけに甘んじてはいけないと思うのです。国も家も個人も同じことだと思います。私たちは快適に楽しく生活するために努力します。そのためには防犯設備を整えるだけではなく、町内の会議や行事に出席したり、趣味や奉仕の活動に参加したりして、交流を持ち助け合います。それと同じように、世界の国々は、政治、経済、環境、文化・・・と様々な分野で安全保障を考えています。それらが破綻したときに最終外交手段を使わざるを得なくなるのでしょう。私たちはそうならないために、政治に参加したり、民間レベルでの交流を持ったり、義捐金を送ったり、自分にできる手段で安全保障を考えていかなければならないのだと思います。
 いろいろな国の人が生活している日本、そして日本人の生活している様々な国。その国がそれぞれ平和でありますように。